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島田昌典氏からのコメント

『黒赤ちゃんという名前から、どんな音楽を想像するだろう? 恐る恐るデモテープを聞いて、僕は裏切られた。あらま、僕の大好きなねじれたポップスだ!一筋縄でいかないリズム、ユニークなギターサウンド、ユニセックスな声とファンタジーな詩の世界は、どこかXTCをも想像させる。みんな火傷しないようにね。』


島田昌典: 94年渡辺香津美 RESONANCE VOX、'95年白井良明プロジェクトSurf Trip などにキーボードとして参加。現在aiko、アンダーグラフ、いきものがかりを手掛けるサウンドプロデューサー。今作のサウンドプロデューサーでもある。
サエキけんぞう氏からのコメント

『名前の印象に反して(笑)、誠実で、ひたむきな音楽、歌、言葉・・・これからも頑張って下さい!』


サエキけんぞう: 1980年「ハルメンズの近代体操」でデビュー後、パール兄弟を結成。モーニング娘。「愛の種」など、多数の作詞を手がけ、テレビ、ラジオ出演の他、エッセイスト、プロデューサーとして幅広く活動中。
種村尚人氏からのコメント

『とてもやさしく響いてくるのです。少しばかり生意気なその「世界」 はストレートには語りかけてはこない。でも、その「世界」は何故だかとっても心地良い...。今作の録音・ミックス作業の際、僕はこの「世界」を素直に楽しむこ とにしました。ファンやリスナー皆様には是非、彼らの「世界」を素直に体感して頂きたい。』


種村尚人: ケイコ・リー、TOKU、YO-KING、玉置成実、織田哲郎、小松亮太、太田剣などのレコーディングやミックスを手掛けるサウンドエンジニア。今作のサウンドエンジニアでもある。
佐々木健太郎氏(アナログフィッシュ)からのコメント

『ねじれたポップミュージックなのに真ん中でずっとグッドメロディーが鳴っていて僕はとても心地好かった。そんな体でいておもちゃ箱を開けたらそこはブラックホールの入り口だった。みたいなそんなかんじ。ありがとう。』


佐々木健太郎: スリーピースのダイレクトなロックバンドのベースボーカル。2004年アナログフィッシュでメジャーデビュー。奇妙にねじれたオルタナティヴ感覚を持ち込み、豪快と繊細とを自在に行き来する演奏と、抜群の三声コーラスが美しいメロディを彩り…アナログフィッシュを一言で言い表すのは不可能である。
森忠明氏からのコメント

■タイトル:超個体我まで
『松野恭平の詩は、若い一流の詩人が一生の一季節にしか実現出来ない貴重なアナロジーに満ちている。一聴、メロウすぎるようだが、彼の内奥には凛然たる雄々しさがある。『黒赤ちゃん』四名の美少年たちは、そのジャケットにアシッドルックスでたたずみ、濁世の地上をいささか呪っているかのようだ。しかし、かれらの演奏はあくまでも愛する大地に根ざしたものであり、優しくかつ厳しく、強い思想が感じられる。いわば宇宙的風雅曲集『少年ユニヴァースの地球儀』によって、私の古頭認識論は、俗悪きわまる社会我から麗しの超個体我へと、たとえたまゆらであっても、実にうれしく溶解されたのだった。』

 


森忠明: 詩人・童話作家。演劇実験室「天井桟敷」で寺山修司に師事、詩と脚本を学ぶ。『その日が来る』で新美南吉賞を、『へびいちごをめしあがれ』で赤い鳥文学賞を受賞。主な作品に『あしたのぼくらはだれだろう』『きみはサヨナラ族か』『風はおまえをわすれない』『悪友ものがたり』『花をくわえてどこへいく』『少年時代の画集』『ホーン岬まで』など。児童劇『ホビーよぼくの心を走れ』『星くずのたずねびと』など。
花澤広敏氏(EdBUS)からのコメント

『なんだこの名前!この感じ!どこにも寄り付かない浮遊感がひたすら心地よい。最高にポップで憎たらしいバンドが作ったこの一枚。このアルバムに出会えた事に感謝します。』


花澤広敏: 都内ライブハウスを中心活動中のバンド“EdBUS”のベーシスト。2006年3月“twilight at dusk”をリリース。EdBUSのギター・ロックには「骨」が見える。一見少しか弱そうに見えるかもしれないけど、それは実のところ、きっとかなり太い骨だ。鳴らしているのは飾りっ気のない、脂肪分の少ないロック。曲の始まりは、ちょっといなたい70年代ハード・ロックみたいな乾いたリフだったり、キラキラとしたアルペジオだったりする。けれど次第にメロディの大波が押し寄せてきて、膝下をずぶずぶと濡らしてしまう。もしくは切なく駆け抜けるような旋律にぎゅっと胸の辺りを掴まれそうになる。
安藤まさひろ氏(T-SQUARE)からのコメント

『どこか切ないサウンドに、ピュアな言葉の数々。瑞々しい個性のデビューですね。期待しています!』


安藤まさひろ: 「T-SQUARE」のギタリストであり、コンポーザーであり、プロデューサー。大学在学時に「THE SQUARE(現T-SQUARE)」を結成、1978年にプロデビューを飾る。以来、リーダーとしてバンドを現在の地位まで導いている。 1987年には安藤の手による「TRUTH」がフジテレビ系「F-1グランプリ」中継のテーマ曲として起用され大ヒットを記録する。その後も数々の番組のテーマ曲を手掛ける。近年では、プロデューサーとしてゲーム音楽の作編曲・演奏でもメガヒットをとばしている。 プレイステーション創生期には、PS初のロールプレイングゲーム「アークザラッド」の音楽を担当。以後のシリーズでもメインテーマは変わらず使用され続けている。また、全世界で3,600万枚の販売を記録している「グランツーリスモ」シリーズの音楽を担当。
今一生氏(フリーライター&編集者)からのコメント

■ポストJ-POPの一番乗り 〜黒赤ちゃんはクるぜ!
2002年の秋、ある大学生の女の子から「すごく大好きなミュージシャンがいるの」というメールをもらった。その後、彼女から『くろあこーすてぃっく』と書かれたCD-Rが郵送されてきたので聞いてみた(僕は可愛い女の子が支持するものには必ず耳を傾けるのだ)。それが、僕と黒赤ちゃんとの最初の出会いだ。
「おやっ、これはなんだかシュガーベイブっぽいな。懐かしい。イマドキの子にしては珍しいセンスだな。どこか、くるりとかフリッパーズ・ギターも彷彿させる声質なのに、バンド名が『黒赤ちゃん』。ただものじゃないぞ、これは」
その音源を面白がった僕は、翌2003年5月に自分が企画したライブイベントに、彼らを呼んだ。生演奏を聴いて、若いリスナーの反応を見てみたかったのだ。
それが、Y2K六本木で行った『SONG LINKS歌力 〜酒鬼薔薇聖斗カウントダウンイベント』だ。これは、「1組15分という短い時間に言葉と音でどれほどリスナーに思いを伝えられるか」をコンセプトにしたジャンル・フリーの音楽イベントだった。
元マルコシアスバンプの鈴木穣さんや、今や「茂木淳一」名義での仕事が増えた千葉レーダ、Cafe musicの雄・ボサダビット、元「えび」の加藤健率いるRebel Blueなどのプロ経験者たちに混じって黒赤ちゃんが登場すると、フロアの若いリスナーたちは一瞬、きょとんとした。知らないバンドが出てきたから、という理由ではない。
曲が進むにつれ、ステージを向いて突っ立ったまま、聞き惚れているのだ…。
ふつう、ライブハウスでバンドが音を出せば、そこそこポップやロックな曲であれば、アンプの音圧やドラムのリズムに気圧されてリズムを刻んでしまうものだ。
でも、黒赤ちゃんの場合、初めて聞いた人は魔法にかかったようにフリーズしてしまい、音を最後まで追うような感じで引き込まれてしまう。
「こいつら、一味違うぜ…」
そう思ったのは僕だけではなかった。
同じステージに出演したシンガーソングライターのAja嬢を見に来ていた音楽業界人たちが終演後に僕に声をかけ、「黒赤ちゃんだっけ、あれ、いいね!」と口々にほめそやしたのだ。
その後、黒赤ちゃんはこのイベントを見に来ていた現在の事務所の社長に可愛がられ、2005年3月にミニアルバム『海をとびこえる作戦』をリリースした。東京・目黒の第一興商のスタジオで行われたレコーディングに足を運んでみると、彼らはまったく物おじせず、むしろ無邪気なまでに初めての本格的な音録りを楽しんでいた。大物だ。
そこで収録された『クリシェ』の美しい響きや、ポップで幻想的な『レスモンティ』などの楽曲には、どこか60−70年代に日本で流行した洋楽ポップスの影響がほの見える。社長が「彼らの音は我々のような世代にも十分通じる。親子で聞ける」と言っていたのが印象的だった。
黒赤ちゃんの4人の平均年齢は27歳(2007年3月現在)。「J-POP」という言葉が流行した90年代に思春期を過ごしてきた世代だ。
しかし、90年代の日本の音楽業界の状況と言えば、お寒い限り。カラオケで歌いやすい口あたりの良い楽曲が目指された果てに、ダブルミリオンのセールスを出しても老若男女すべての人が楽しめる歌はすでに生まれなくなっていた。
インディーズを含めてCDの点数ばかり増えたが、質的にはスカスカの商品群がレコードショップを賑やかせていた。CDの主な購買層である10代には、援助交際・リストカット・少年犯罪が叫ばれていた時代で、売れた楽曲の歌詞もそれと連動し、やたらと愛を乞うものばかりが目立っていた。
このような生ぬるい状況に対する反動から、2000年頃には「関西ゼロ世代」と呼ばれるシーンも生まれた。
では、90年代から2002年の結成に至るまで、黒赤ちゃんは何をしていたのか。
12歳でスピッツに魅せられた松野くんは当時からギター、作詞・作曲を始め、ブリティッシュ・ロック、クラシック、ソ連の映画音楽などにハマッた後、ハイティーン時代にはプログレ、ミニマル、ポリリズム、現代音楽、アヴァンギャルドなどに影響を受けながらも「一生懸命になっている人を嘲り笑う、極めて冷笑的な青年であった」とか。
しかし、大人になるにつれ、まるでスカスカの90年代を埋めるかのように、精神性の高い文化的・芸術的な音楽を志向するようになり、谷川俊太郎の「二十億光年の孤独」やJ.D.サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」、スタジオジブリなどを愛し、児童文学や純文学へ傾倒していった。
(『少年ユニヴァースの地球儀』に収録されている『ロータリークッキー』は、松野くんがジブリ作品の『耳を澄ませば』の舞台である聖蹟桜ヶ丘に足しげく通っていた経験から生まれた曲だそうだ)
乾くんは15歳で念願のギターを手に入れた後、ジョン・レノンを聞きながら愛犬を抱きかかえ引きこもっていたという。今でもよくライブMCのネタにされる天然パーマも、思春期の少年にとっては、微妙に受け入れがたい現実だったのかもしれない。
18歳の時に上京すると、The Beatles、やTahiti80、小田和正、fishmansなどメロディーが良く透き通っていて綺麗なサウンドが好きだった彼は、難解で不可思議な音色を好む松野くんと出会い、やがて吉祥寺駅前の路上で二人で歌い始めた。
矢澤くんは、18歳で上京すると同時にボーカル、オカリナ、ギターという独創的なスタイルで音楽活動を始めていたが、その後、Larry Graham、Jaco Pastorius、細野晴臣らに魅せられ、ベースへ転向したという。
ステージでは、他の3人がポーカーフェイス気味で演奏するのに対し、矢澤くんだけはまるで歌うように顔も全身もノリノリで動かしている。ボーカルからベースへ転向した彼は、ベースが楽曲の雰囲気を決定づけてしまう面白さを知っているのだろう。
CHABOくんは、15歳の頃にベースをプレゼントされ、その後George Winstonの「あこがれ」に魅せられてピアノを独学。友人の薦めでスティックを握ることになるが、21歳で上京すると、村上ポンタ秀一、映画音楽、ゲーム音楽などに影響を受け、キレのあるサウンドを目指したという。
矢澤くんもCHABOくんも、彼らが胎児期あるいは幼少期の頃に全盛期を迎えたミュージシャンたちのセンスを受け継いでいる。言わば、彼らの親(50代)にとっては懐かしく、アナログからデジタルまでの音楽史を一通り知っている僕のような40代前半の世代にとっては「やっと“細野チルドレン”が現れたか!」という感慨が深い。
メジャー・アルバムのジャケで「地球上の音楽は、すべて僕たちが手に入れました」と豪語した黒赤ちゃんにとって、「J-POP」の枠などどうでもいいのだ。
ユーミンがまだ作曲家の「荒井由実」として知られていなかった70年代初頭、彼女は流行していた庶民派の生活がしみこんだ歌を「四畳半フォーク」と切り捨てた。黒赤ちゃんも流行にソッポを向きながら、「J-POP」の先に新しいスタンダードを見つけようとしている。
運動嫌いの文系少年だった松野くんと、いつもせつなそうな目をしてる乾くんは、腐女子たちのネタにされそうな「イマドキのやさしい青年」の雰囲気を醸し出しつつも、二人ともシャイな印象とは裏腹に、内面に悪戯好きな少年の毒気をはらんでいる。
この毒気に、彼らよりちょっと年上の矢澤くんもCHABOくんもやられた。
そのせいか、4人が出す音は、一度ハマッたらクセになる。こういうミュージシャンはすぐには売れなくても、ある日突然に売れ出す。買うなら今だろう。


今一生(con isshow): http://www.createmedia.co.jp/
片岡宏介氏からのコメント

『ひねくれているけれど、本当の本当は ピュアでまっすぐで素直な黒赤ちゃん。 だからこそ生み出せた誠実なひねくれポップアルバムだと 思います。 確信犯の奥に見え隠れする純粋さに心打たれました。 ペットサウンズ以来の名盤に出会えた事に感謝しています。』


片岡宏介:作曲家。2000年頃より東京トヨペット、チューリッヒ生命等のCM・企業VPや、H.P.FRANCEのファッションショー等の楽曲制作を手掛ける。また東北新社のHDショートフィルム企画 「ぷちむー(中島信也氏命名)」DVDに音楽で参加、他にも多数の短編映画の楽曲制作を手がける。最近では、オルガンズカフェ5thアルバム 『cafe au lait bowl』のオープニング曲「ラディラ〜will do」を作曲するなど、アーティストへの楽曲提供も開始した。また「IL GATTO」名義でのアーティスト活動も展開中。
生駒裕哉氏(音楽ライター)からのコメント

■信じられない! すべての曲がすばらしい!!!

1秒、1oたりとも曖昧なところがなく、散漫なところもない、過密、緻密、精 巧。イントロ、間奏に溢れてくるダイナミズムに中毒性がある。
精巧なポップスでありながら、随所で各パートが「既存の価値感への反抗と熱い生 き様」を表現。一方で1stミニ・アルバム『海をとびこえる作戦』との繋がりも感じ る。これまでの活動を断絶する内容ではない。つまり、“海をとびこえる作戦”はこ れまで着実に実行され続けてきた。そしてそれは今後も続けられるということだ。
小田和正やKINKI KIDSが歌っても違和感がないポップス。 シンプルな構成であり ながら多重的サウンド。口ずさめるメロディから初期ビリー・ジョエル、キーボード を配した構成からジャックスマネキン、こだわったリズムからXTCやU2『WAR』等、豊 潤なコーラスからジェリーフィッシュやビートルズ等を思わせる。
ラストナンバーの組曲「少年宇宙旅行」はキング・クリムゾンやピンクフロイド等 からの影響なのか?! ロック的なアプローチよりJ-POPの鉄則を優先しているようだ が、何度も聴き、考察していくうちにロックと思えてくるのもこのアルバムの特徴 だ。
東京の繁華街のネオン、高層ビル、お洒落な街、ショーウィンドウ、ライヴハウ ス、そこで過ごすことが多い松野の歌は、それに流されず、日本古来の季節感を切実 に保ちながらも、書き出しと締めに配された「引き込ませる」フレーズがにくい。そ して切ない。
『少年ユニヴァースの地球儀』には能書きはいらない。歌・楽曲・サウンドがすべ てを証明する。音楽に対する知識はいらない。優れた音楽というものを定義するのな ら、聞き終わった後、映画館から出たような心地よいめまいがする音楽ということに なる。正にこのアルバムのことだ。音楽を発見し始めているキッズからCDを大量に 持っている音楽ファンまで幅広い層で親しめるはず。
20代のメンバーは、レコードからCD、音源のダウンロードという移り変わりを体験 し、恵まれた環境で好きな音楽と発見・開拓してきた。J-POPを軽視せず深く追求す る思想を持ち、表現とは何であるかを知り尽くしている連中であるのは間違いない。
エル・アール、ホフ・ディラン、スーパーカー、フィッシュマンズ、くるり、ス ピッツ、ポラリス、レミオロメン、BASE BALL BEAR etc…
どれとも違う。ここに00年代を代表する“超個性”誕生!!!

追記1
生駒「あのう、探しているCDがあるんですが。今日発売の黒赤ちゃんというバンドのアルバムなんです」
店員「黒赤ちゃんですか??。少々お待ちください…」

今はみんな名前を聞いただけて、まるで喉の奥に魚の骨がひっかかっているような、微妙な表情をすることが多い。それがどう変わっていくのか。リアル。

追記2
ある人「黒赤ちゃん? 妙な名前だな。コミック系? アングラ系? ああ、aikoを手がけたプロデューサーなんだ? 期待の新人というやつだね。どうなんだろ?」

CDを聴く
「ああ、メロディがいいポップスだなあ!」

数日後
「ん?! 待てよ? 何じゃこれー!!」

1ヵ月後
「アタシ、黒赤ちゃん中毒!!!」

追記3
花火職人は年中火薬を調合し研究と実験を繰り返すそうだ。そして夏になると一気にその成果を大勢の人等に披露する。大人でも子供でも誰でも感動できるのが花火だろう。そして、職人の制作過程や苦労は誰も知らない。一瞬だから感動的でありながら儚い。どこか蔭りがある。黒赤ちゃんとは花火職人のようだ。

追記4
トランプで「大富豪」というゲームがある。同じ数字のカードを4枚揃えて出せば革命を起こすことが出来る。革命を起こすことで、それまでのルールを変えることができるのだ。3月21日、黒赤ちゃんの4人が揃い号令したことにより、革命が起きた。僕らの音楽・表現に対する価値感と日常は引っくり返ったのだ。万歳!! 2007年3月、黒赤ちゃん革命!!!

追記5
彼らの音楽を聴きながら、白いキャンパスを黒く塗りつぶせ! 革命の色は赤!! 赤を重ねて、壁を越えるのだ。


生駒裕哉(いこまひろや): 音楽ライター。学生時代、音楽フリーペーパー制作に没頭している時に黒赤ちゃんと出会う。同フ リーペーパーでの取材やライヴイベント企画等を通じて黒赤ちゃんを追い続ける。現 在はマイペースにフリーライターとして都内のライヴハウス/アンダーグラウンド・ シーンを徘徊中。

ブログ: http://blog.goo.ne.jp/ikomadmusic



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